Wiener Philharmoniker Orchester Berliner Philharmoniker Orchester Sir Simon Rattle Dirigent
Ralph Vaughan Williams
Fantasia on a theme by Thomas Tallis (1910)
Gustav Mahler
Symphonie Nr. 6 a-moll «Tragische Symphonie» (1903-1904)
今回ウィーンに来た理由はもちろん世紀のベルフィル&ウィーンフィルコンサートを聴くため。幸運にも発売してすぐにパートナーがネットでチケットを購入してくれた。サイモンラトルがウィーンフィルと飲んでいたときに、「欲しい誕生日プレゼントは?」と尋ねられて、リクエストしたといわれるこの合同コンサート。楽団員の数も首席の数も一緒、曲もそれぞれが一曲づつ選ぶという徹底した平等主義。カラヤン時代以来から両者の間には複雑な感情の縺れといおうか、見えない対立があると言われていたみたいだけれども、若干50歳という年齢にして実に鮮やかにそしてさりげなくその見えないカーテン(虚妄であり実在しなかったかもしれないけど)を取り去ってしまったラトルという人物の計り知れない魅力とは何だろう。
ロンドンではコンサートはおろか、ロイヤルオペラハウスにだってスニーカーにジーンズでもあまり気にしないでいけるので、すっかり同じ気でいた。ところがコンチェルトハウスに向う人の波を見ていると、男性はジャケット着用、女性もきちんとした格好の人ばかり。朝のコンサートなのにー。入口で門前払いされたらどうしようと思っていたが、それは大丈夫。でも周囲から寄せられる視線はとても冷たくって身を小さくして席に収まる。こんなに居心地の悪い思いは久しぶり。コンサートの始まりで、ラトルが入場してきたとき思わず身を乗り出してパートナーと見ていたら、後ろの女性にすかさず注意され、それでちゃんと姿勢を正したのに、中休みではわざわざ席の近くまで来てまた注意された。きっと我々の格好のこともこの注意の背景にはあったのだろう。確かにドレスコードを考えずに来た自分の無礼さを反省するし、こうした格式ある楽団員の方々、ホールの方々に対して本当に申し訳ないと思うのだけれども、小さくなっている人に対してそこまで攻撃することはないじゃないか。格式尊重というベールをかぶった驕りに非常に不快だ
と、ざわめいてしまった心も、信じられないくらい繊細でそれでいて重みのある弦の弱音でボーンウィリアムズのタリスが始まった瞬間に、音楽のみへと戻っていった。今回のコンサートで私の心が震えたときは、この出だしとそしてタリスの中間部のヴィオラとヴァイオリンの掛け合いのとき。このときは、これが世紀の合奏だとか、サイモンだとか、そんなことではなく、ただただ奏でられるその音が自分に届いて揺さぶられてしまった。このタリスの主題による幻想曲。伸びやかでなだらかな田園の広がる英国の作曲家ボーンウィリアムズらしい曲。ウィーンフィルとベルリンフィルのそれぞれのもつ音色がいかに結びついていかなる効果をこの曲にもたらしたのかを分析できるだけの能力を私はもたない。ただ思ったのは、音域(比較的音域の狭い曲だと思った)も音の強さも抑制されている曲なのに、抑制されているからこそ逆に音の広がりが見えるような、そんな曲でそんな演奏だった。狭くて居心地悪くコンサートシートに座りながら、いつのまにかとてつもなく伸びやかな気持ちになっていた。
そしてマーラーの悲劇的。やっぱりマーラーは生で聴くに限る。そしてそれが世界二大オケの共演でラトル指揮なら何を他に望めよう。でも私の中では、10年も前にバーミンガムでバーミンガム市響&ラトルの演奏を聴いたときのあの悲劇的に勝るものではなかった。もう10年も前のことだし、細部うんぬんはぜんぜん忘れてしまっているのだけれども、「ジャン ジャ ジャ ジャン ジャンッ」と曲が始まった瞬間から、自分が歴史の波に揉まれる革命の闘士や権謀術数渦巻く宮廷絵巻に組み込まれたとてつもなく大きなNever Ending Storyの夢を見ているようだった。身体の震えがずっととまらなかった。過去は美化される。だけれども、それだけIntensiveな演奏であり、一生私の忘れえぬコンサートの一つであり続けると思う。
そのとき一地方の近衛指揮官だったラトルは今は一国どころか欧州またがる領域の指揮官。足元の軍隊は各地域よりすぐりの精鋭たち。でも精鋭のより集まりが一地方の隊に唯一負けるとすれば、いつか都に上がるんだという志と、そしていつか同じく故郷に帰り錦を飾るという気持ちなのかもしれない。今回の悲劇的で私が10年前ほどの感慨を持てなかったのはそこに理由があるのかもしれない(心ざしがないと言っているわけではない、「共有」がバーミンガムよりも薄かったかもしれないということ)。確かに技術的にはホルンを聴いてもオーボエを聴いても、もちろん弦もそれぞれのパートが立っていて(どこも立ちすぎて、迷いバシをしてしまう)すごいっ。3楽章を過ぎる頃からは、一体感も高まってきたし。私自身細かく聴ける性質ではないこと、そして10年前の過去の呪縛(?)から逃れられなかったことで、ちょっと引いて聴いてしまったけれども、試みとしてはとても評価できるし、試みだからこそこれ一度で終わってしまうのは残念だと思う。
コンサートの後はヒットラーが2度受験して落ちたことで有名な造形アカデミーでヒエロニムス ボッスの最後の審判を見た。その後シュテファン寺院の近くのカフェでコーヒーとケーキを食べ(そういえば朝はホテル ザッハーでハムとチーズがおいしい朝食セットとザッハートルテ)、今度は美術史美術館へ。唯一のフェルメールの「画家のアトリエ」は残念ながら日本へ貸し出し中。でもバベルの塔などのブリューゲル作品がたくさん見れたし(ボッスもブリューゲルも細部が楽しいので好きな絵だ)。それからは、のんびりと歩いてベルファーレ宮殿に行き、そのすぐ横にあるビアホールでビールを飲みまくった。ビールは6種類あり、それを全部とガーリックスープとソーセージ、そしてウィンナーシュニッツエルともりもり食べた。ほろ酔い気分となったので帰りはリッチにタクシーをと思い、「レー
パーバーン(まだ そう思い込んでいた・・)の近くのホテルへ」(おっちゃんだから、有名なレーパーバーンくらいは知っているだろう)と言ったところ、「はっ?」という顔をされた。「ほらほら、その、あの、いわゆる・・・レーパーバーンだって」といっても、まだ合点のいかない様子。仕方がないので住所の紙を見せたところ「ああ レー
バーバーン(道の名前)ね」・・・日本語風に言うと「おっちゃん 赤線地帯のホテルにやってくれる?」と言っているようなもの。ああ恥ずかしい。おそらくウィーンには公式なというか誰もが理解する赤線地帯は存在しないのだろう。
<シュールなウィーンのポスター>