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生後3ヶ月

はやいもので、もう5月も半ば。姫が生まれてばたばたしているうちに1年の半分近くが過ぎようとしている。そんな姫もすっかり乳児。生後3ヶ月の間は、運動能力の発達(ものを手でがしっと掴む、首が座る、反動をつけて寝返りをうとうとする)が目覚ましく、また、周囲への興味が一段と増し、また両親とそれ以外の境目がはっきりとするようになってきた。
最近の一週間はこんな感じ。月曜日はだいたいベビーヨガのクラスにランチあたりからおでかけ。それがないときは一緒に映画をfilmhouseに観に行ったりもする。金曜日には2週間に一度ある日本人プレイグループに出かけたり、友人と料理教室を交互に開催したり(わたしが日本食を教えるのだ!)もしている。天気がいいと、というか雨が降っていない限りは、だいたいバギーでお散歩。2ヶ月まではバギーの中ですぐに寝ていたのに、最近は周りを見回すのに忙しくてなかなか寝ない。Water of Leithなんかの自然歩道を散歩していると、とても興奮しているのに、ショッピングモールを散歩するとつまらなそうで寝てしまうのも面白いところ。天気が良ければ、公園や植物園の芝生で人や鳥やリスをWatching。週末は、友人家族を招いたり、招かれたり。あとは牧場に行って生まれたての子羊や子豚を見たり。最近姫のお気に入りは、Tescoのショッピングカートに乗って、一緒にお買い物すること。このカートだとママとパパの顔が見えながらいろいろなものが見れるからか、必ず興奮している。

生後100日目の翌日にはお食い初めということで、お赤飯、尾頭付きの鯛、煮物などを用意してみた。こういう日本独特の儀式はこちらにいるからこそきちんとやってあげたいな、と思う。予防接種も3回終わり。BCGもしたのであと1歳になるまではお注射とはさよならだ。針が刺さった瞬間泣くのはいつものことだが、針が抜かれるとすぐにおさまるので、いつもお医者さんには褒められる優等生。赤色反射がないといって心配していた目のことも、専門のお医者さんに見てもらって、だいじょうぶとのおすみつきをもらってほっとする。体重は6キロ弱。まだまだ小さめではあるし、ミルクの飲む量も少ないのだが、それでも順調に増えてはいるのであまり心配しても仕方が無いかな。

4月21日には旦那が車の試乗会があるとかで、Gleneaglesホテルへ。一面緑の真ん中にあるこのホテル(ゴルフ場も有名)は格式があってどっしりしていて、こういうホテルには多少お金を出しても泊まってみたいなあと思わせるものだった。雨がパラパラと降るあいにくの天気ではあったが、姫を連れて庭を散歩したり、ランチをしたり、ひさびさに遠出らしい遠出をした1日だった。また5月1日には旦那に半休をとってもらい午後のフライトでロンドンへ。10月以来。ピアノのレッスンのあと、Yuja Wangのコンサートへ。ラフマニ、ベートーベンのソナタ、スクリャービン、そしてプロコフィエフのプログラム。身体の使い方も(1番前のかぶりつきの席だったのでいろいろとよく見えた)非常にしなやかだし、何よりもものすごい難易度の曲を楽に効率的に弾いていた。スクリャービンが一番面白く聴けて、彼女の良さが現れていると思ったが、ベートーベンのソナタは非常にかっきり弾いているにもかかわらず、どこか遠くて、いまいち。やはり難しい。
そしてそのあとは友人とラーメンとビール。空港近くのホテルに深夜に帰り、翌朝1番で家に戻ったあっという間のシンデレラだったが、なんだか母になる前に一瞬でも戻った気がして、とても楽しかった。でも夜になると姫が超恋しくなるのだけれども。快く送り出してくれた旦那に感謝。



# by royalfestival | 2012-05-11 05:57 | Lovely daughter | Trackback | Comments(0)

生後2ヶ月 その2

3月はKITday (Keep In Touch Days)の一環として会社に2日ほど出社。年休が余っていた夫がベビーシッターを買って出てくれたので、ありがたいこと。会社を離れてまだ2ヶ月ほどしかたっていなかったので、会議に出ても浦島な感じもしなかったし、溜まっていたメールも一気にチェックできた。帰りはのんびりと姫の洋服なんかを見ながら(最近街中に出かけると必ずベビー服をのぞいてしまう)、徒歩で帰宅(ベビーカーなしに歩けることの自由さよ!)、と気分転換。
ありがたいことに姫が本当に育てやすい子供なので、親の我々は彼女にあまやかされっぱなし。夜はテニスに出かけたり(二人が1時間ずつレッスンを受けて交互にベビーシッター)、友人の送別飲み会に夫婦+1で参加してみたり、ベビー連れでも観に行ける時間に映画に行ったり、と好き放題振り回してしまっている。彼女はそんな勝手な、いいかげんな我々に順応してどこでも大概機嫌良くしていてくれるので、我々はさらにつけあがってしまう。

ここ2週間の姫の様子
最近の姫は0−3ヶ月の洋服がぴったりのサイズになってきた。うまれたての頃はNew bornの服もだぼだぼだったのに。首もかなり座ってきて縦抱きにすると首をぶんぶん振って危なっかしくなってきた。両手を合わせることもできるし、ジムにぶらさがっているおもちゃ(音が鳴る蜂さんがお気に入り)を掴んでゆらすこともできるようになってきた。よっぽどのことがないと泣かないようになり、泣いても抱き上げたり、歌ってあげるとすぐに機嫌を直してくれる。一人で1時間以上もずっと遊ぶ事ができて、だんだん飽きて機嫌が悪くなってくると、私をかまって!と訴えるかのような大きな声を出して注意を喚起するところなんて、なんだかとっても女の子っぽい。



# by royalfestival | 2012-04-02 23:09 | Lovely daughter | Trackback | Comments(0)

生後2ヶ月 その1

3月1日
今日で8週目。姫の月齢も2ヶ月。今日は8週間検診に行って来て、はじめての予防接種も。最初の一本はびっくりしたような顔をしただけだったのだが、次の一本で泣いてしまった。そりゃそうだよねー。大人だって注射嫌いだもの。

3月3日
奏の初節句。母親が昔に私のために作ってくれた木目込みのお内裏様を送ってくれた。それに加えて、義理の母が以前私にくれた小さなおひな様と、先週日本からニューキャッスルへ出張する途中にわざわざ大量のお祝いを持って、立ち寄ってくれた高校時代の友人がくれた布のおひな様。それぞれの温かい気持ちのこもった3対ものおひな様をもっている姫は幸せものだな。この日は、2週間お姉ちゃんのAちゃんとママ、アイスランド人の友人とその子供二人がうちに遊びにきてくれて、小さなひな祭りパーティー。

3月4日
11月に通っていたNCTクラスの同窓会。8カップル9人の赤ちゃん、そしてクラスの講師が勢揃い。なにがうれしいって、分娩がどうとか、必要品は何かとかを習った皆が、こうして揃ってパパとママになって健康な赤ちゃん達と来れること。一番早く産まれたのは、早産だったフィリピン人カップルの男の子(11月うまれ)。そして1月末に産まれた子が一番遅い。というわけで月齢1ヶ月から4ヶ月までの赤ちゃんが勢揃い。9人並んでソファでの撮影会では、あちらの子が泣けば、こちらの子も泣くといった感じで大騒動だった。我が姫様は、あいかわらずの外面の良さで、ずっとパパに抱っこされてニコニコしたりすやすやしたり、写真撮影でも全く泣かず。ちなみに、パパは外に3人で出かけて誰かと会ったりすると、必ず姫を抱っこしたがる。皆にいいところを見せたいのだろうが、その横でビールを飲んでいる私がなんだか、出来ないママに見えそうでちょっとやだな。

3月9日
最近さらに、1日のリズムが出て来て、6時間はしっかり寝てくれるし、日中のお昼寝は一人で遊んで、そのまま一人で眠ってくれることが多い。夜はしばらく抱っこしてから寝かすようにしているけれども、ミルクを飲んでくーんなんて声をだして胸にぐったりと体を押し付けてくる姿が愛しい。笑顔もどんどん増えて来て、朝一人で起きてふんふん言っているところに抱き上げにいくと、にこっとまず笑って、そのあとも笑いかけると笑ってくれて、ひとりで笑いながら遊んでいることも。声の種類も増えて来て、時に出す大きな声もかなりしっかりしている。一日に泣くのはだいたい2回くらい。それもすぐに抱っこすると泣き止んでくれるので、本当に楽。毎日はこんな感じ。
8時 起床 出勤前のパパが笑いかけるとにこにこ
9時 ミルク そのあとジムマットで軽く30分から1時間うたた寝。その間私は朝食に洗濯、掃除など。
10時 ジムで活発に手足を動かしながら、一人遊び。もしくは絵本の時間。私はピアノを弾いたり。
12時 ミルク 
1時 外出 バギーの中ではしばらく目をきらきらさせて起きていてそのうちお昼寝 
4時 帰宅 ミルク しばらく私の腕の中でうとうと。甘えん坊の時間
5時 ジムで遊んだり、うとうとしたり。 夕食の下準備
6時 パパが帰ってきて遊ぶ。
7時 ミルク。我々の夕食時は横でおとなしく我々を観察
8時半 ベビーマッサージのあとお風呂
9時半 ミルク
10時 就寝
4、5時 ミルク

日中はママが抱っこしていないと泣いちゃうなんて赤ちゃんが多い中、うちの姫は一人で機嫌良く遊んで、声をかけて、一緒に遊ぶとニコニコで、一人ですやすや眠りについてくれて、本当に天使のよう。思いっきり我々を甘やかしてくれるいい娘なのだ。



# by royalfestival | 2012-04-02 22:47 | Trackback | Comments(0)

生後1ヶ月

2月2日
姫が生まれた日からまるまる4週間、居てくれた両親の帰国日。朝早くに夫の車で送られて帰って行く両親に玄関先でさよなら。5月半ばには帰国するチケットをとったので、しばしのおわかれだ。この1ヶ月、長い様で短かった。この1ヶ月、彼らがいつもそばにいて支えてくれたからこそ、まだまだ不慣れなことばかりで未熟ではあるものの、なんとか母親業をスタートすることができた。この恩は言葉では表すことができない。彼らに受けた恩を彼らにすべて返す事は到底不可能。独立して結婚してすっかり親元を離れて、あとはこちらが世話する番だなどと思っていたのだが、やはりいつまでたっても心配ばかりかけ、世話ばかりしてもらう。親にかけてもらった思いを、姫に与えていくことだけが唯一できること。
見送るととても寂しくなってしまったのだが、今日から夫がパタ二ティー休暇に入ったので、少しは気がまぎれる。午後は昨年11月に参加していた母親学級の仲間達と、キッズフレンドリーなカフェで集合。8組カップル皆が無事出産を終えて、本当によかった。この日は5人の母親+赤ちゃんが6人(双子が一組)と夫が集まった。ここ2ヶ月くらいに生まれたばかりの赤ちゃんが集合していたものの、大きさも顔かたちも様々でとてもおもしろい。姫は外面がよいのか、ずっとすやすや眠り続けていて、他のお母さんがミルクをあげたり、おむつをかえたりしているときに、我々はゆっくりとコーヒーを飲んでランチを食べることができた。でもその反動で今夜は眠らないかな。

2月19日
2月2日から2週間夫が育児休暇。両親がいたときは、どうしても母親に頼ってしまっていたのだが、彼女が帰ってしまうと、ミルクとかおむつとか、あやすこととか、夫にいろいろと頼ることになる。ところが夫が意外と大活躍。あやすことなんか私よりもうまい。好きなメタルの曲をかけて歌って聴かせたりすると、姫はおとなしく聴いていたりするのだ。私は未だに、どうしてあやしてよいのか考えてしまって、こんなことしてもよくないのでは、とか、何をやればためになるのか、とか考えてしまって、ついつい肩肘張ってしまう。夫のようにもっと自然にやりたいようにやればいいのに。
夫の育休中、前もって出来ることは出来る限りやろう、ということで、職場復帰してから姫を預ける保育園の見学、私立のプレスクールの資料取り寄せと申し込みなどをいろいろこなした。保育園は5カ所くらい回ったが、広さや雰囲気、それぞれに違いがあり、観ていくうちに自然と、自分のこだわりのポイントが出て来るもの。1歳弱という年齢から、彼女が起きている時間の大半を他の人に預けるということに申し訳なさを感じもするのだが、イギリスに生きていく以上、早いうちからの言語やカルチャーの取得に役に立つだろうし、願わくば社会性の発展にも役立てばなお嬉しい。短いながらに一緒にいる時間を充実させることで少しでも償えれば。
今まで同僚が子供の学校の話をしていても半分に聞いていたのだが、奏が生まれてからは、もっといろいろと真剣に聞いておけばよかったと思う。小学校から私立に入れる同僚が多いが、いろいろな統計をみると、公立と私立の差はとても大きい。大きくなってから私立に行くという手もあるのだが、大きくなればなるほど狭き門となる。というわけで、早速プレスクールの入学願書を3校に提出。プレスクールは先着順なので生まれる前から登録に行く親もいるとか。レールを敷くつもりはさらさらないのだが、将来入りたいと思ったときに、我々の準備が不十分だったから、入れなかったということはしたくない。出来る限りのことをして、後は彼女が選んでくれればよいと思う。
5週と6日の体重は3.9kg。誕生時からまだ1キロ増えていないので小さめだが、ヘルスビジターさんによるときちんと育っているし、問題はないとのこと。夫が職場に復帰した16日には、バギーデビュー。友人とジョンルイスのカフェでお茶を飲んで、そのあとバギーを引きながら、一人でランチとショッピング。3時には別の友人のところに遊びに。姫は外面がよいようで、バギーでもジョンルイスでもすやすや。友人宅ではご機嫌で皆にだっこされていた。その翌日は日本人のプレイグループデビュー。20人以上のママと子供達が集まっていて、エジンバラにも意外と日本人がたくさんいたんだなー。皆で日本の童謡を歌ったり、絵本会があったりするので奏がもう少し大きくなれば、ありがたい活動なのだが、金曜日に開催なので、私が職場復帰してしまうと、姫を連れていけないのが残念。出来る限り参加して、ままさんの友達を沢山作れればと思う。
奏も6週。0ヶ月目に比べると、ずいぶんと人間らしくなったなと思う。朝起きると、機嫌良く、ふんふん言っている。その言葉のバラエティーもずいぶんと増えた。今週ははじめて笑顔を見せてくれた。ミルクを飲んだ後、甘える仕草もとても人間っぽい。泣くときも以前は火がついたようにすぐに泣いていたが、今はしばらく泣きそうになって我慢して、また泣きそうになって我慢して、という時間が増えてきた。今週夜泣き対策にはじめたベビーアッサージをすると、とてもリラックスした表情になる。寝ているときと起きているときの差がはっきりもしてきている。姫の笑顔に、姫のキラキラした瞳に、奏の甘え声に夫も私もメロメロだ。これからもっともっとメロメロになるんだろうな。



# by royalfestival | 2012-02-29 03:06 | Lovely daughter | Trackback | Comments(0)

怒濤の一ヶ月

1月6日
ほぼ一睡もできないまま朝を迎える。朝早くに姫のヒアリングテストをしに専門家が来てくれる。寝ているうちにできるテストなのだが、結果が出るまで異常がないよう祈るような気持ち。これから何度となくこんな気持ちを味わうのだろうな。まだ尿管も抜けず、身動きがうまく取れる状況ではなく、姫が泣いていて、ナースコールのボタンをベッドの下に落としてしまって誰も呼べない時には動揺してやるせない気持ちになってしまう。夫に電話して面会時間よりも前に早めに来てくれるようにお願いする。彼がちょうど到着したときには、尿管も抜いてもらい、トイレとシャワーを浴びに立ち上がらせてもらう。前回の手術のときもそうだったが、トイレに行き、シャワーを浴びるというのは一つのマイルストーン。母が握ってくれたおにぎりを食べる。病院のご飯も食べられないというほどではないのだが、こういうときはやっぱりお米がおいしい。午後はなかなか出ない母乳を一生懸命絞り出してみたり、奏が胸のところにくるようにしてみるのだが、うまくいかない。両親がまた見舞ってくれて、2時間ほど一緒に過ごし、夫を残して帰る。マリアと横のジュリアは今日が退院。斜めのベッドには高血圧だからか、妊娠後期で入院している若い女の子。ずっと夜中赤ちゃんの心音を聞いている。GPであの音が規則正しく打っているのをきくたびにほっとした気持ちを思い出す。無事に出産できますように。夕方にはベビードクターが来て、姫の様子を観てくれる。なんの問題もなく、とてもありがたかったのだが、ちょうどそのとき母乳が出ずにフラストレーションがたまっていたときだったので、きちんと話も聞けず残念なことをした。どうも感情の波が大きくていけない。夜の8時頃、ちょうどナースの交代の時間にあたるのだが、あいかわらず母乳も出ず、奏は泣いているので、ナースコールで手助けを呼ぶのだが、10分たったもだれも来ない。やっと来たので、泣いているのに母乳に吸い付かないから手伝ってほしいとお願いすると、チョコを食べながら、「こうやりゃいいのよ」みたいな感じで、無理矢理奏を吸い付かせてすぐにどこかにいってしまい、奏もすぐに口を外してまた泣き出してしまう。そのあと親切な助産婦さんがきて、お腹がすいているようだから、母乳が出るまで粉ミルクをあげましょうね、と粉ミルクをあげてくれた。嬉しそうに目をつむって懸命に飲む姿は子犬か赤ちゃんシロクマのようで可愛いのだけれども、母乳が出ないことを切なくおもってしまう。夕方のこのことがあってから、ストレスレベルは最高位。その夜は新しい自然分娩のお母さん二人が部屋に入ってきて、赤ちゃんを抱えて母乳をあげているのに、私は母乳は出ないし、おしめをとりかえるのにも、すばやく動けなくて、ベッドから起きるのも、お湯をくむのも、屈むのも時間がかかり、その間奏は泣きっぱなしで、分娩を終えて疲れているお母さん達に申し訳なく思ったり、なんだか自分が無力で未熟でどうしようもなくみじめに感じてしかたがない夜だった。

1月7日
最悪の夜があけた朝、8時過ぎ、とても大きな明るい助産婦さんの声が病室に響いた。「今日は夜の8時半まで私が担当しますからね。あなたの可愛い子供の名前は決めた?私のことはネリーと呼んでね」と一つ一つのベッドにネリーさんが声をかけている。私のところにもやってきて、「なんてかわいい赤ちゃんなの 寝ているいまのうちに、シャワーを浴びてさっぱりしていらっしゃい。私がミルクあげてみているから大丈夫よ。シャワーは健康と清潔の第一歩だから2回1日に浴びてもいいのよ」と。寝不足で頭もふらふらするので本当はきついのだが、ネリーさんの元気に押されてシャワーを浴びる。と、不思議と気持ちが前を向いた。シャワーのあとはさておむつかえ。まだ慣れなくって、少しでも動くとパニックしてしまうのに、今回はおむつをはずしたとたん、うんちをして、と同時にミルクを口から出して、おしっこも出すという3連発。上も下もで、超パニック。なんとか洋服もおむつも替え、さっぱりさせたので、少しベッドで一息つくか、と思ってたところで、ネリーさんが「シャワーのあと傷の絆創膏は剥がした?」えー自分であの血がついたような絆創膏を剥がすんですか?しかもまだ2日目なのに、傷は乾いているんでしょうか??以前の手術のときは看護婦さんがそおっと取り替えてくれたような気がしたので、「怖いので剥がすのを手伝ってもらえませんか?」と聞くと、「自分でできるわよお。シャワー浴びて時間がたつと乾いてよけい痛いわよ」とのこと。ええいっ、もうしょうがない!とトイレで思い切って一気にひっぺがしてみた。そりゃ痛いけれども、思ったほどではない。この3連発と絆創膏の件で、なんだかおもしろおかしくなってきた。そのあと、ネリーさんが、「赤ちゃんが冷たくなってきているわ。こういうときに一番いいのはSkin to skin。あなたも上半身裸になって、その上にこの子を乗せてあげるから。」と奏を乗っけてその上から毛布で二人をくるんでくれた。そうして二人でしばらくあたためてあげていると前夜の惨めな気分は少しずつ消えて、隣と前の新しいお母さん達にも「昨日はこの子がずっと泣いていてごめんね。休めなかったでしょう」と明るく挨拶することもできた。たったひとりの助産婦さんの存在がこんなに皆の気持ちをかえてくれるものなのだ。彼女と会えたのはこの日だけだったが、朝から晩まで12時間、いろいろなベッドで親身に話を聞き、アドバイスをし、そして別の部屋からも助っ人を求められるネリーさん。あまりにも人気なので、なかなか私と話してくれる順番が回ってこないのが残念だったが。
この日も夫が11時頃、両親が2時半頃に来てくれた。新しい冷蔵庫を両親が買ってくれるということで親子喧嘩。気持ちはうれしいし、これから1ヶ月炊事を任せられるのに手狭な場所ではやりづらい気持ちもわかるのだが、場所がせまくなるし、3人暮らしでは今の大きさで何とかやっていけるのだから、いらないという私の主張がぶつかる。夫は相変わらずのニュートラル。
私のベッドの前に入院して来たのはネパール人。彼女と彼女の夫はカトマンズから来ているようで、まだ英語もあまりうまくはないのだが、とにかくひとなつっこくて、助産婦さんにも私にもいろいろと話しかけてきてくれる。助産婦さんが、母乳が少ないので、泣く子供に粉ミルクを少し与えたほうがよい、と助言すると、彼女は紅茶をあげたいという。助産婦さんに反対されると、「そうしないと夫に怒られます。彼は子供が泣く様ならばお茶をあげて、粉ミルクは絶対あげるな、と言っていました。」そういえば、夕食も彼女は夫に全部取り上げられていて、カシューナッツだけを食べるよう言われていたな。国ではそういう文化なのだろうか。最終的には助産婦さんが夫に携帯で電話をかけ、説得し、今日はとりあえずミルクを与えて、まだ疑問に思うようならば翌朝、病院に彼がきたときにすべて資料を見せて、理論的に説明するから、と言って、なんとか夫も折れていたようだ。異なる文化背景を持つお母さんがたくさん出産しているここでは、こんなドラマは毎日なのだろうか。それにしてもお産も子育ても、何が正しくて何が間違っているかは、何を参照するかによって変わってくるので、自分の軸を持つためにはどこまで調べて、どこまで人の話を聞いて、どこまで自分で判断できるかをいつもバランスを取らなければいけないのだな。

1月8日
朝から、今日の退院にむけて話が進む。幸いなことに姫も私もすべて順調。私の傷のチェックや問診が終わり、姫の体重チェックに検査。私の前と横の自然分娩のお母さん達も今日退院できるよう。夕方、晴れてすべての書類の手続きも終わり、解放となったのだが、親切な助産婦さんに入浴の仕方を教えてもらえることになった。この日は比較的静かなようで、助産婦さんたちの時間の余裕があるようで、こうした入浴指導や、帰宅時のカーシートへの座らせ方なども教えてもらい、手取り足取り指導を受けることができた。2日前、助産婦さんのヘルプが足りないことを恨みに思っていた私だが、彼女達もものごとに優先順位をつけてやっていただけなのかもしれない。帝王切開の高齢妊婦のおっぱいが早いうちにでないのは当たり前のことで、そんなことでストレスを覚えているような母親の泣き言につきあっているよりも、もっと他にすべきことがいろいろとあったのかもしれない。お風呂にはいって湯冷めをしないようにすこし休んで、夜の8時頃にやっと退院。姫も初めて外気にあたる。車の中ではクラッシックFMで幻想ポロネーズが流れていた。姫がこの世ではじめて聴く音楽(とおもったが、手術中そういえば麻酔医の人がポップスを気を紛らわせる為にかけてくれていたことを思い出した。なので奏の最初の音楽はUK pop )。
家では、父親がおめでたいということでおかしらつきの鯛を料理していてくれた。でも家に帰ってきてはじめて自分たちだけの手にゆだねられたことで余裕もなく、かりかりしていてその厚意をおいしく受け取れなかったのが残念。


1月9日
朝すぐにミッドワイフのルースちゃんが来てくれて、いろいろと姫と私の様子の話をきいてくれた。彼女はまだ若く出産経験はないのだが、はきはきしていてとても感じのよい女の子。母乳がでないことや、うんちやおしっこの回数、飲んだミルクの量などを伝えて、意見を聞く。病院はすぐに退院させられちゃうけれども、自分たちが暮らしていく場所にすぐにもどして、ミッドワイフの訪問でフォローアップ。長く入院するとその分その状況に慣れてしまうが、このシステムにより母親本人の独立と、一日も早い家族だけでの生活の確立を施す。この前もドイツ人でイギリスで出産した友人と話していて彼女もコメントしていたが、イギリスの出産とその後のケアは非常によい、という意見には私も同感する。といっても他の国でのサービスを受けた訳ではないので、比較はできないけれども。
奏の名前の件、病院でもいろいろと話し合っていたのだが、そろそろ決定しなければ、友人にもおひろめができない。というわけで家族会議。夫はあやね、とかおりねとか「音」がついた女の子らしい名前をすすめていて、私の一押しは響(きょう)か奏(かな)。両親からはみのり、なんてアイディアも出ていた。最終的に皆で話し合い、漢字にどこかネガティブな意味合いがないかなどを最終チェックして、決定!妊娠中ずっと、この子のことを「ノリ」と呼んでいたので、最初は慣れなかったが、慣れてみればみるほどよい名前の気がしてくる。
あいかわらず母乳が出なくて、姫もおっぱいを近づけただけで嫌々をする。母乳搾乳機を買ってもらってなんとかそれですずめの涙ほどの母乳をしぼって与えてみることにするが、なんだかせつない。リビングルームで、いやがる我が子の前でおっぱいを出して拒否されおろおろしている場に、両親がいるということにもセンシティブになってしまう。そんなおり、夫から私が母乳のことで悩んでいるのを聞いた友人が、本当に温かいメッセージを携帯に吹き込んでくれてはげましてくれる。とてもありがたい。

1月10日
昨夜メッセージやFBで姫の誕生を報告したところ、友人達から温かいメッセージが続々と届く。奏にもたくさんの親しい友人に恵まれた人生が待っていますように。今日は助産婦さんによって奏の血液検査。かかとをちょこっと傷つけて採血するのだが、その間も体重測定の間もまったく泣かず。おりこう、おりこう。午後は夫が奏の出生登録を出しに、お役所にいった。姫は夜型人間なのか、夜起きると、目がらんらんとしていて、なかなか寝付かない。赤ちゃんとはそういうものだと思っても、やっと寝たと思ってベッドに降ろしてしばらくするとまた泣き出してまたふりだしに戻る、という循環を何回も繰り返すと、床にへたり込んでしまうくらい疲れてしまう。

1月11日
この日はミッドワイフさんに抜糸をしてもらった。前回の手術のときも抜糸のときは怖かったのだが、今回もびくびく。でも終わってみると、こんな簡単なものなんだ!とわかる。まだ傷口のあたりの内出血がひどいのだが、子宮も少しずつ収縮中(子供が産まれたら、すぐにおなかが小さくなると思っていたのだが、子供を出してもまだ大きいお腹にびっくりした!でも考えてみれば10ヶ月もかけて少しずつ膨らんだ子宮が一瞬で戻るわけはないよね)。お昼は会社の上司、同僚の女性三人がうちにあそびに来てくれる。みな彼女達自身がお母さんなので、抱き方もあやし方も心得ていて、いろいろと自分の経験を教えてくれたりする。ここ何日かまともに顔も洗わず、化粧なんかも当然しない、パジャマで毎日に過ごす、という状況だったので、服を着替えて、化粧をするだけで、なんだか気分がリフレッシュ。
夜ははじめてのお風呂。とにかく風邪をひいてはいけないので、早くしなきゃというあせりもあるし、耳に水を入れてもいけないし、なんだかかりかりしながらのお風呂タイム。姫はこんなにリラックスして浸かっているのにな。
昨夜の経験を繰り替えさないようにGena先生の、「赤ちゃんのルーティーンの確立方法」の本を読んで、それのとおりに奏をできないかを画策してみる。

1月12日
姫が産まれて1週間。本当はこの日が予定日だったのだ。この日は助産婦さん訪問はなし。お昼におむつ替えをしていると、へその緒がぽろっと取れていた。水天宮のお守り袋に入れて保存していつか奏にあげよう。自分の体調も少しずつ回復。でもホルモンのせいなのか、疲れのせいなのか、あいかわらず感情の波は激しく、両親に当たったり、夫に当たったりしてしまう。とくに70歳、80歳に近いのに、この気候の悪いエジンバラに来て、坐コツ神経痛に悩まされながら、姫をずっと抱えてあやしてくれる母。私に水をつかわせまいと、慣れない食材と台所で一生懸命ご飯を作ってくれる母。そして冬の寒い中、リュックを抱えてスーパーに買い物に行き、お得意の料理を作ってくれたりする父。40歳を過ぎて、やっとそろそろ親に受けた恩を返せるころだと思っていたのに、またこんな迷惑をかけて。こうして受けた恩を両親にすべて返せるわけはなく、返せない分私が姫に与えていけばよいのだろうか。なのに、おむつ替えやお風呂で焦っているときに横から、いろいろ言われると、余計な口だしはしないでほっといて、なんて大人げないことを言ってしまう。今2週間経って振り返ると、この1週間ー10日は、本当に大人げない、なさけない有様だった。

1月13日
今日は金曜日。というわけで夜勤を夫にも体験させる。一緒におきて一連の作業を体験させて、その次に起きたときには彼だけにやらせてみる。ちゃんとできているか気になって、気配をうかがっているので、その間は結局おきてしまうのだが。

1月14日
午後からエジンバラにきた時から仲良くしてもらっているスペイン人とイギリス人のカップル、彼らの可愛い4歳の娘さんが遊びにきてくれる。彼女のあまりにもの可愛らしさに、普段外人の友人が来ると引っ込んでしまう母も折り紙で鶴を作ってあげたりしながら、一生懸命片言英語で話していた。
夜は母と奏の扱い方で喧嘩。確かに母は大先輩ではあるのだが、ものの本によると違う意見が書いてあったりして、そちらを試してみようとする私と喧嘩になってしまうのだ。厚意でやってくれているのは重々わかってはいるのだが、ついつい感情的になり「ほっといてよ」などと言ってしまう。

1月15日
今日も午後から夫の同僚のスペイン人と、エジンバラ在住の日本人の友人が訪ねてきてくれる。今週は一週間Genaの本に合わせようと思っては、うまくいかなかった1週間だった。姫には姫のリズムがあるのだから、もっとそちらにあわせてもよいのかもしれないと思い直しつつある。

1月16日
今日でやっとミッドワイフを卒業。妊娠時代からお世話になっていたエルペスさんともルースちゃんともお別れ。順調な妊娠生活、そして最初の10日間が過ごせたことを奏に感謝せねば。

1月17日
ミッドワイフさんを卒業したので、ヘルスビジターさんがやってきていろいろな説明をしてくれる。姫が大きくなるまで彼女にはお世話になれるそうで、新生児から6ヶ月までは毎週彼女達による質問クリニックがあるようで、また予防接種の時期をお知らせしてくれたり、定期点検してくれたり、成長の過程に関する質問を受け付けたりしてくれる、相談役だ。過剰な世話ではないが、必要な時にはコンタクト出来る先がちゃんと用意されているイギリスのシステムはありがたい。

1月18日
午後に、退院して以来はじめて外出。ジョンルイスまでゆっくり歩いていく。ついこの前、出産前にジョンルイスにいったときにはまだクリスマス後のセールがやっていたのに、そんなものあとかたもなく、この2週間あまりのうちに何もかも風景が変わってしまったように感じた。

1月21、22日
土日なので夫とASDAに買い物にいったり、ベビー用品を買いに、Mothercareにいったり。

1月24日
姫、はじめての外出。Leithで開かれている、Breastfeeding sessionへ。Nellyさんが担当助産婦としていて、再会。あいかわらず明るく相談にのっていた。

1月28日
両親に姫を預けて、近くのフレンチビストロで夫とランチ。グラスワインに前菜、メイン、そしてデザートと久しぶりに外でゆっくりと落ち着いてランチができた。



# by royalfestival | 2012-01-31 02:15 | Lovely daughter | Trackback | Comments(0)

姫 誕生!

1月4日
お正月が明けてから、風が強いことやなんとなくなにもやる気がしないことがあり、家で毎日だらだら。この日はじめて外に出て、マザーインディアカフェにてカレーを食べる。夜はどきどきして眠れない。

1月5日
朝の7時半にEdinburgh Royal Infirmaryへ。前日までの強風がおさまり、穏やかな1日になりそう。しばらく待合室で待ってから、個人部屋につれて行かれて、手術に立ち会ってくれる助産婦さんからこれからおこることの説明、執刀医と麻酔医も立て続けに訪れてくれる。執刀してくださるのは、今まで会ってきた先生が忙しいようで、別の先生。麻酔医はマッケンジー先生。そんなこんなのうちに8時半過ぎ、予定どおり朝一番に執刀してくださるようで、手術着に着替え、シアター(手術室)へ歩いて移動。手術台に座って、周囲がめまぐるしく動いている中で、マッケンジー先生が、点滴を入れたりしながら絶えず声をかけてくださるので何となく安心する。ピース姿で写真を取る余裕まで。脊椎麻酔も痛いと聞いていたが、たいしたものでもなく、その後横になり、冷たいスプレーで下半身の感覚が麻痺していることがチェックされ、執刀開始。痛みも不快感も何も無いのだが、武者震いなのか薬のせいなのか、なんだか体が絶えず震える。羊水がこぼれる音とか、赤ちゃんを取り出す感覚があるのか、とも思ったが、どちらもなく、気づいたら、夫が「出たよ!今赤ちゃんが血だらけで向こうのテーブルに行った」と言われて、彼女の声が聞こえて、初めて気づいた。2012年1月5日、9時40分。壮絶なる痛みの末で自分で押し出したわけではないものの、声を聞いたときのあの気持ちは言葉には出来ない。横を見ると夫が上品に自分の涙を手でぬぐっていた。いろいろな検査の後彼が赤ちゃんを観に行き、その後きれいに血を脱ぐってもらった奏を助産婦さんが持って切てくれた。早速親ばかなのかもしれないが、とてもきれいな顔立ちのはっきりした赤ちゃん。その間も下半身カーテンの向こうでは、胎盤を出したり、縫合したりが慌ただしく行われていて、上半身と下半身が違う生き物みたい。奏は体重3190グラム、身長51センチ、何の問題もなく、五体満足。本当に本当に産まれてきてくれてありがとう。そして私も今まで健康にいきてきて、こうしてこのときを迎えられてよかった。平均以上の血が失われ、奏のTransverseポジションと、私の以前の手術跡により、多少複雑な手術となったようだが、無事終了。赤ちゃんを抱いたままリカバリー部屋に戻った。



# by royalfestival | 2012-01-12 22:43 | Lovely daughter | Trackback | Comments(0)

音楽鑑賞 10月、11月

8th Nov

Pierre Laurent Aimard
Liszt, Années de Pèlerinage, Troisième Année: Aux cyprès de la Villa d'Este I: Thrénodie, S 163 no.2
Bartók, Dirges for piano (Nénies), Op.9 Sz 45 (no. 4 played)
Liszt, Années de Pèlerinage, Troisième Année: Aux cyprès de la Villa d'Este II: Thrénodie, S 163 no.3
Stroppa, Tangata manu
Liszt, Légende no. 1 "Saint François d'Assise - la prédication aux oiseaux", S.175 no. 1
Liszt, Années de Pèlerinage, Troisième Année: Les jeux d'eaux à la villa d'Este, S 163 no.4
Ravel, Jeux d'eau
Messiaen, Catalogue d'oiseaux: Le Traquet stapazin
Liszt, Années de Pèlerinage, Première Année, S 160: Suisse: Vallée d'Obermann

1日でとんぼ帰りのロンドン滞在。今回の目的はエマールのソロコンサート。いつも凝ったプログラムを作る彼の今回のテーマは「リストとその影響」。リストの曲とその影響を受けている曲を交互に演奏する。最後のオーベルマンが圧巻。今までCDやコンサートで聴いたこの曲とまったく別曲かと思った。らしい、らしくないは別として、ここまで一つの曲にすべてを捧げ込んで演奏できるなんて、リストがとても幸せな人だと思った。

11th Nov
Mendelssohn Hebrides Overture
Mendelssohn Violin Concerto
Dvořák Symphony No6
Artists
Tomas Hanus (Conductor) BIOG
Tomas Hanus is now considered one of the leading Czech conductors. He completed his studies under the direction of renowned Czech conductor Jirí Belohlávek at the Janácek Academy of Music and Performing Arts in Brno. He first attracted public attention from his success at the International Competition for Conductors in Katowice in 1999.
Vadim Gluzman (Violin)
超絶技巧系のバイオリニスト。

13rd Nov
Featuring:
András Schiff

Works:
Mozart - 12 Variations in B flat on an Allegretto KV500
whatson/author/7556-Mozart
Mendelssohn - Variations Serieuses op. 54
whatson/author/7577-Mendelssohn
Haydn - Variations in F minor, Hob.XVII/6
whatson/author/7935-Haydn
Schumann - Theme with Variations in E flat
whatson/author/7565-Schumann
Beethoven - Diabelli Variations

26th Nov

Featuring:
Mitsuko Uchida

Works:
Schumann - Waldszenen
whatson/author/7565-Schumann
Chopin - Nocturnes Op.62
whatson/author/7606-Chopin
Chopin - Polonaise-Fantasie Op.61
whatson/author/7606-Chopin
Schoenberg - Six Little Pieces
whatson/author/7595-Schoenberg
Schubert - Sonata in Cm, D. 958

27th Nov

Featuring:
Francesco Piemontesi

Works:
Mozart - Fantasy in D minor
whatson/author/7556-Mozart
Chopin - Barcarolle
whatson/author/7606-Chopin
Debussy - Préludes (selections)
whatson/author/8082-Debussy
Lachenmann - Schubert Variations
Schubert - Sonata D959



# by royalfestival | 2011-12-31 06:04 | Music | Trackback | Comments(0)

コルシカ サルディーニア旅行 2

1st Oct
アグリツーリズモのオーナーの旦那さんがパティシェであるおかげで、朝食はケーキがたくさん。カフェオレに入れて飲むミルクも脂肪分がたっぷりのヤギのミルク。今日はサルディーニアの右上のマッダレーナ諸島へ。島といってもフェリーでわずか15分くらい。大きな島ではないので、ドライブで1まわりして、それから景色がきれいだった海岸でのんびり。砂浜ではなかったし、日差しも暑かったが、かもめを見たり、蛾が2匹もつれあって死んでいくのを見てたり(引き離してもすぐにくっついてしまう。交尾のあとに二匹して死ぬ運命なのかな)、ガイドブックや、持って来た本を読みはじめたり(今回もっていったのはケン フォレットの大聖堂 第一部ですら上中下と分かれていてそれぞれがかなりのボリューム。重いかなと思って一冊しか持っていかなかったので大切に読みきらないように読んでた)。夫はシャクルトン評伝。それぞれがきりがよいところで腰を上げようとすると、なかなかタイミングが合わず、気付いたときには4時間あまりも海岸でボーっとしていた。その後道でつながった離れ島へも足を伸ばし(ここにはガリバルディの住居がある)、またフェリーに乗って本島に戻ってきた。そしてコスタスメラルダ沿いをドライブ。Porto チェルボなど豪華ヨットが停泊し、ブランドショップが立ち並んでいる。宿のお姉さんおすすめのアイスを食べに行き、そしてまたお姉さんおすすめのレストランへ夕飯を食べに。タルタルにうにのパスタ。

2nd Oct
ここArzachenaは、コスタスメラルダも近いが、古代遺跡がたくさんあることでも知られている。チェックアウトした後、まずはヌラーゲの集落遺跡へ。ちょうどガイドが始まったところだったので面白い話もいろいろと聞けた。BCの時代の遺跡で、会議場のような円い部屋があったり。サルディーニアは地中海でも古い島のひとつであちらこちらに遺跡が残っている。そこから山道を歩いて、巨大墓へ。のんびりと山道を歩いていたら、狩をしているらしい人たちとすれちがってちょっとひやひや。それから山の道を通り、Aggiusへ。この街ではちょうどこの時期フェスティバルがやっていそうだったからだ。街に到着したら、サルディーニアの民族衣装を着た大人や子供たちが。オレンジジュースを飲みながらその日の祭りのスケジュールを見ていると、夜だけではなく2時半からも何らかの催しが企画されている模様。場所を聞き、そちらに歩くが、すっかり村を外れてしまい、どうやら間違えたよう。2時半、祭りといいながらいろいろな人に場所を聞き、散々まよったがまだたどり着かない。そのうち2時半近くになってしまい、祭りの歓声が聞こえてくるかな、と思いきや街は静まり返ったまま。おかしいな、と思ってもう一度さきほどのカフェでさらに聴くと、どうやらその催しはドンキーレースのようで、山の中に入ったところが会場らしい。まだ間に合うかな、と急いでその会場まで行くと、人がぱらぱらと5人ほど。そして肝心のドンキーは2匹。英語のしゃべれるお姉さんに聞いたところによると、ドンキーの到着が遅れているので、30分ほど開始が遅れるとのこと。
さて、2時半がオフィシャルの開始時刻。しかし結局レースが始まったのは5時近く!その間我々は炎天下石の上に座り、若者やドンキーの到着をボーっと見ながら待っていたのだ!特に先の予定もなかったし、会場を突き止めるのに1時間以上もさまよい歩いた意地もあった。おかげで気の抜けたようなドンキーレースがいざ始まったときには、それだけで大仕事を達成した気になり、1レースだけ見て、帰途に。その夜は人気のアグリツーリズモtenuta Pilastru 。民宿というよりはホテルのようでスパまである。無料サービスを使って夫の眉毛整えに付き合ったり、バルコニーでくつろぐうちに夕食へ。いろいろなフリットの前菜にパスタ、子豚の丸焼き、デザートと食事の質も量もよかった。

3rd Oct
サルディーニアの北西部から中部へ移動。コルシカでは島の真ん中を突っ切る高速道路がなかったが、サルディーニアは高速道路網が発達している。その高速でNuoroの街へ。山の上にある街なので、迷って変な方向に行ってしまうととんでもないターンの効かない急斜面が待っていたりするリスキーな街。ここではサルディーニアの民族衣装の博物館に行こうと思ったのだが、ちょうど昼休み中だったのでさらに足を伸ばし、Dorgaliの街を抜けて、grotta di Ispinigoliへ。こちらもちょうど昼休みだったのだが、ラッキーなことにガンベロロッソにのっていたレストランが目の前にあったので、ランチを食べることに。野生のミントがはいったチーズのキッシュや、サルディーニアのぱりぱりしたパンとチーズとトマトソースを焼いて半熟卵をのっけたプリモ、そしてロブスターパスタ。どれも素朴でとてもおいしい。ここの洞窟は、ヨーロッパ最大の鍾乳洞があることでも有名な洞窟だが、すでに枯れた洞窟で、普通の鍾乳洞のように水が滴っていない。でもこの洞窟のさらの下には他の洞窟が2つもつながっているとか。以前BBCのPlanet Earthでもアメリカの地下洞窟のことを放映していたが、まだまだ発掘されていない地下の世界が世の中には果てしなく広がっている。こうした洞窟の存在は何でもすぐに知ってみている気になってはいけないよ、という警告だ。
さて、この洞窟めぐりのあとは近場の海に行き、またしばしのんびりと。この日の宿はここから山の中の一本道を延々と15キロも行ったところにあるHotel Silana。この道の片側には見事な峡谷が広がっているのだが、暗くなるとくねくねカーブ続きの道で少し怖い。宿はとてもモダンで快適で、ここの宿のレストランでスープや馬肉ステーキなどを食べる。


4th Oct
数日前から夜夫が全身をかきむしるようになった。虫刺されが始まったのはコルシカのPorto以来で、市販のかゆみ止めなどを買っていたのだが、この朝見てみると、足から手から首から胴から100箇所以上も刺されたところが、赤く膨れはじめた。こうなると、「かゆみを耐える根性が足りない!」とだけも言っていられず、宿の人に相談してお医者さんを予約してもらうことに。Nuoroの皮膚科のお医者さんを夕方予約できたので、午前中はまた海に行き、ひなたぼっこ。調子にのって膝までつかって岩にのっていたら海の中に落ちてしまい身体がずぶぬれ。着替えももってきていなかったので風邪を引いてはいけないと、人気が少ないことをいいことに、即席のナチュラリストになることに。日当たりのよい岩の上に服を乾かして夫のリュックサックでさすがに身体の前面は隠して読書にいそしむ。そして午後からはNuoroのお医者さんに。「英語を話せる人を」とお願いしておいたのに、英語ができないようで、ボーイフレンドと電話中の娘さんらしき人の力を時折借りて、なんとかコミュニケーションをとってみた。どうやら南京虫ではなく蚤(イタリア語でプルチ)のようで、アンチヒスタミンと塗り薬を処方してくれた。どこで蚤にとりつかれたんだろうねーなんて話していて、一つ思い当たることが。そういえばPortoから夜食事にいったときに、レストランにいた犬がおなかを見せて、ずっと掻いてほしがっていたっけ。その尋常ではない甘えようを発情期かと思っていたが、蚤だったのかも。そしてその犬を掻いてあげた私から、その夜アルコールを飲んでいた夫に蚤はうつり、悪いことにその日は夕食前にお風呂をすませていたので、そのまま就寝。蚤は全身食べ放題だったのかも。とにかく原因がわかって私はすっきりしたが、蚤の痒さは蚊の比ではないらしく、夫は単なる辛抱が足りない人ではなかったことがわかった。万が一蚤がどこかに残っていたらいやだと、夫は手持ちの服すべてを捨てることに。普段まったく服を買わない人なので、ここぞとばかりにTシャツや下着を新調するなんてめずらしい。どれもイタリアンカットなのでピチピチのスタイルとなってしまった。やせてもらわなくては。その後Oliennaという山間の街に行き、レストランへ。1時間ほど開店まで時間があったので、バルコニーで待たせてもらいながらまた読書。羊の脳のフリット(夫)にコロッケ、クレープのラザニアにラグーのパスタ、そして子豚の丸焼き、手作りのフォカッチャが絶品だった。サルディーニアは海の幸もおいしいけれども山の幸もまた趣向が違っておいしい。夜は真っ暗の道をまたくねくねとホテルまで戻る。こんなときには一人旅行でなくてよかったな、と特に思う。

5th Oct
ここの山間の宿に2日も泊まったのは、実はこの宿の近くの遊歩道からSu Gorroppu Gorgeへいけるから。このあたりは見事な峡谷が広がっているのだが、車道が通っていないので、徒歩でしかその姿を近くで目にすることはできない。ガイドブックやウェブサイトを見てみると、このGorgeに行くには専属ガイドがいないと難しい、というようなことが書いてあったのだが、宿の人に聞くと、そこの遊歩道を降りていくだけだよ、ただ降りるのに1時間半、峡谷の中に入って1時間半、のぼりにさらに1時間半と5時間近くかかるよ、とのこと。まあ、途中でつらくなったら無理せずに引き返せばよいし、下った分だけ登るということを頭に入れてペース配分すればきっと大丈夫と、果敢に出かけることに。遊歩道の入り口からヤギがいっぱい。そしてなんとふんころがしがヤギのふんを転がすところに遭遇。ファーブル先生はここからはじまったんだあ。道は山道、そしてときには砂利道、時にはごつごつした岩道。ところどころに下から登ってくる分かれ道があったりして、帰りに迷わないようによく特徴を記憶にとどめておくようにする。でもほとんどの分かれ道にはマークがされているので大丈夫かな。くだりであることもあり、ヤギに話しかけながら順調にでも慎重に歩を進める。普段牧草地や丘の多いスコットランドやイングランドでは歩く機会のない険しい山の風景を楽しみながら。1時間半ほどたつがゆっくりと歩をすすめているためかまだ下に到着しない。ちょっと帰りに不安も覚えるが、ここまで来て引き返すのなんてやだ、と意地が出てきてさらに下を目指す。2時間弱で峡谷の入り口に到着。ホントはここで引き返そうと思ったのだが、やはりここまで来たからには肝心の峡谷の中を見ずにはかえれない、と思いはじめたところ、観光局の人がいて、峡谷入場料を徴収している。お金を持ってこなかったからあきらめなきゃ、と思うと、「ホテルに後で預けてくれればいいよ」、と言う。でもごつごつした大きな岩を登って降りて、峡谷の奥に進むと往復でさらに1時間。おなかを見せながら、「危なくないですか?」と聞くと、「両手を使えばノープロブレム」、と。そして峡谷の奥の切り立った崖の写真を見せてくれる。よっしゃ、ここまできたらやっぱり行こう!と手の力を使い、足場をしっかりと確かめながら峡谷探検。夫が気遣ってくれて「こっちのルートのほうがきっと楽だよ」と先に歩を進めて誘導してくれるのだが、なぜか彼は道を選ぶのが下手なのか、私のほうが楽なルートを見つけてしまう。中には崖から大きな岩が落ちてきて道をふさいでしまったので、人ひとりがやっと通れるくらいの岩のすきまを張って、設置されているロープにつかまって降りるなんて箇所もあったりして冒険感満載。そしてこれ以上先は危ないと言われたところまで到達!その景色も美しかったが、なんだか達成感が大きい。でもまだまだこれで半分。のぼりが待っているのだ!再び岩を飛び歩いて、峡谷の入り口に戻り、湧き水をくんで、いざ帰路へ。いきなりめちゃくちゃきついのぼり。しかも砂利道なので進んでも進んでも、進めない・・・立ち止まると次の一歩を踏み出すのがきついと分かっているのだが、立ち止まらずにはいられない。足元だけを見て少し、また少しと登っていくと、傾斜が少しだけ楽になってくる。でもそのときには足の疲れだけではなく、さきほど使った手の疲労も出てくる。半分きたかな?あと1/3くらいだよね、などと励ましあいながらもくもくと登ること2時間あまり。ホテルが見えてきたときには達成感というよりは迷わずに何もなく帰ってこれたという安堵感。コーラを注文して飲んだときにやっとすがすがしい達成感に満たされた。このWalkingは今回の旅の私的ハイライトだが、こんな健康的な旅を何事もなくさせてくれた中の人に感謝しなくちゃいけないな。

さてここからはまた高速を使ってドライブをしてサルディーニア西部のまんなかのOristanoの近くのアグリツリズモへ。夜はサルディニア風ニョッキなど素朴な宿の料理。

6th Oct
本日は西海岸をずっと北上。Oristanoのあたりは干潟が多くて平面的な地形。サルディーニアも場所場所によっていろいろな地形と魅力を見せてくれる島だ。途中で羊の群れにとうせんぼされてしまったり、ローカルな道をドライブするのは楽しい。お昼すぎにBosaという街へ。海沿いから1キロほど内陸にある川沿いの城下町(お城は休憩中でいけなかったけれども)。小高いところにあるお城とカラフルな家並みと曲がりくねった道が特徴の可愛らしい街だ。ここのレストランでサーディンのパスタなどを食べ、ぶらぶらとお散歩。そしてArgheroの街へ。今日から3夜連続で泊まる宿はArgheroから車で20分ほどのMiddle of nowhereのアグリツーリズモなのだが、英語が上手なお姉さんのマネジメントがよいのか、なかなか繁盛している。コテージタイプの部屋にチェックインしたあとは、Argheroへ。ここはサルディーニアの中でも人気のある観光地なので、おみやげ物屋やレストランが多い。でもちょっとTouristicでお昼のBosaの街のほうがいいかな。海沿いをずっと散歩してレストランへ。ここが味付けが濃くてちょっと残念。まあ、ロバのラグーを食べられたのが経験になったからいいか。

7th Oct
今回の旅行ではじめて天気が悪い日。なのでBロードをぶらぶらとドライブすることに。途中で立ち寄ったのが、Basilica di Saccargia。建立されたのが1116年。今読んでいるケンフォレットの大聖堂の時代よりも前。茶色と白の縞々の教会で見上げると、あちらこちらにユニークな彫刻が。中に入るとこれまた古いフレスコ画がよい状態で保存されている。12使徒の絵があったのだが、なぜか14人いるので聞いてみると、12人プラス聖パウロとマリアだとのこと。キリスト教関連の質問だと、こちらの人にとっては常識なんだろうな、と思っていろいろと聞くことをためらってしまうけれども、考えてみれば外人だって禅とか仏教の基本的なことでもいろいろと聞きたがるのだから、ためらってみる必要はないのかもしれない。夫はその点、すぐにいろいろと聞くので結構とくな性分だ。そのあと、ガンベロロッソに載っていたDa Vitoというレストランを目指す。ガンベロロッソの表示方法は、一番近い街の名前で区切ってあるのだが、その町から車で30分もいったところにあるMiddle of Nowhereだったりすることもあり、注意が必要。今回もSennoriという街のカテゴリーに書いてあったので、その街で駐車してバーのおっちゃんにきいたところ、さらにしばらくドライブしなければいけないようで、なかなか行き着くのに苦労した。海が見える場所にたつこのホテルレストランに入ったのは2時過ぎ。イタリア語を話すウェイターさんだけだったので、なかなかコミュニケーションが取りづらく、パスタをそれぞれ一皿とメイン一品くらい、と言ったつもりが、トイレから帰ってくると、テーブル中に乗せられた前菜の山とあっけに取られている夫の顔。でもこの前菜がまたおいしそうなので、まっいいかとプラン変更。タコのマリネ、ムール貝のオーブン焼き、フライもの、魚のトマト煮、からすみとチーズなどなど、この前菜がどれも絶品で、今回の旅行のNo1レストランはここに決定!ものすごい勢いで食べている二人を見て最初ぎこちなかったウェイターも愛想が格段によくなり、ここではじめてパスタメニューを持ってきてくれて、からすみとボンゴレパスタをオーダー(ホントは横の人が食べていたシーフードスパゲッティがよかったのだが、ここでもかた勘違いされた)。このパスタがまたものすごい量で、結構濃い味だったので、油をあまり入れずにからすみもかけすぎないように食べていたら、「からすみかけ放題だからもっとかけろ!」「この油がおいしいんだ」といわんばかりに、ウェイターさんがついでくれる。もう降参!デザートはきつかったのだが、レモンシャーベットならばさっぱりするだろうとそれをオーダーすると、レモンシャーベットにさらにいろいろなお菓子をつけて持ってきてくれる。もうおなかははちきれそうなのだが、やぶれかぶれで食べてしまった。おいしいサルディーニアの中でも一番においしいレストランだった。
あまりにもおなかがふくれたので、サッサリの街観光もとりやめて宿に早めに帰り、のんびりする。

8th Oct
朝起きると風が秋だった。一日でがらっと季節が変わってしまった。今日はアルゲーロのあたりでは一番の観光名所であるネプチューンの洞窟へ。ところが洞窟までいったところ、天気が悪いので洞窟に下りていく階段は閉鎖されているとのこと。昨日だったら開いていたそうだ(曇り空だからやめたのに!)。まあ、またご縁があれば来なさいということなのだろう。少しドライブして断崖絶壁に波がくだけちっているのが見えるところまで岩につたわって降りてみる。風が強いのでなかなかスリリング。そのあとは、スタンティーノという半島をドライブしてCapo Falconeという岬を歩く。海の色がエメラルドグリーンで美しい。そこでランチを食べて、その後はカステルティーノという街までドライブ。ここは工芸品を売っているお店が多くて、いろいろとのんびり見たかったのだが、夫が明日車を返すのに今日のうちにガソリンを満タンにしておきたい、とずっとあせっているので、のんびりできない。私はいいかげんで、日曜日でも朝からやってるよーとか、夕方遅くでもやってるところがあるよーとか思って、前もって考えようとしないのだが、夫は夫で、必要以上にのりしろを求めるような慎重すぎる性質。いつも家を出発する時間とかでもめるのだ。宿の近くのスタンドで余裕にガソリンを満タンにして、夜は近くの街でピザを食べる。

9th Oct
長かったコルシカ、サルディーニア旅行も今日が最終日。朝の飛行機でアルゲーロからロンドンへ。ロンドンでは友人と友人の子供と一緒に飲茶を食べる。そのあとホテルに帰ってのんびりと旅の疲れを癒す。疲れといってもたいしてはたまってないが。いつものスケジュールぎちぎちの旅に比べ、今回はけっこうゆったりした旅程。その分夫とくだらない会話をしたり、あてもなくのんびりと散歩したりできた。きっと来年からはこんな旅は無縁となるんだろうな。これから15年くらいはこんなのんびりした旅はできないかもしれない。でもまた新しいスタイルの旅ができそうで、そんな変化もちょっと楽しみ。

10th Oct
この日は朝から夫を置いて、美容院、そして一番最初にロンドンに来たときにお世話になったランドレディに会いにハマースミスへ。日本食をご馳走になる。その後はサウスバンクに行き、大学の大先輩と夫と合流してコンサート。ソリストは当初グリモーの予定だったが、アバドとグリモーの間で解釈の差が出て、急遽内田光子さんに決まったよう。この前ザルツブルグで見たシューベルトのソナタのときは、あまり好きになれなかった今日の彼女の演奏は、さっぱりとしていてそれでいてシューマンらしいロマンティシズムが失われていなくて、なかなかよかった。クラリネットとオーボエなど木管がうまくて、最初の1小節から音楽に浸ることができた。後半のブルックナー。久々のブルックナーだったのだけれども、やっぱりだめだー!この冗長さ。もっと遠くから立って眺めてみれば構築が見えてきて、大きく曲を楽しめるかもしれないのだが、もう目の前の音楽だけを追っていくと、長すぎて気が遠くなってしまう・・・ 来年は子育てしながらマーラーの交響曲全曲を思い切り聞き込もうと思っているのだが、子供を寝させるためにはブルックナーのほうがいいのかな。



# by royalfestival | 2011-10-11 23:47 | Travelling light | Trackback | Comments(0)

コルシカ サルディーニア 旅行 1

9月24日 
7月後半のザルツブルグ旅行、8月のエジンバラフェスティバル、数多くの友人の来訪、両親の2週間滞在とウィーン旅行、そして両親が帰国した夕方からも前の会社の同僚サラの来訪、そして22日のロンドンでのピアノ発表会(今年の演目はシューマンのソナタ2番1楽章、ショパンのポロネーズと友人のソプラノと合わせた二つのアヴェ マリア)と、ほぼ1ヶ月半あまりフル活動の毎日。中の人はなんとせわしない人なのだと思っていることだろう。そんな中の人が外の人になる前の、最後の夫婦二人でのバケーションの行き先はコルシカとサルディーニア。
まずはエジンバラからPisaへ。そのPisaからコルシカ行きのフェリーの出港するLivorno へは30分足らず。空港カウンターで電車のチケットを購入したところ数ユーロの手数料をとられたのだが、電車のホームに行ってみると、自販機が。やられた!そして電車に乗っていたところ検札が来て「乗車前にパンチをしなかったから罰金20ユーロ」と言われた。理屈はわかるのだが、電車のチケット自体に発売時の時間が記入されており、そこからカウントしても十分制限時間以内なのだから、その点を強行に主張。でも向こうも折れず、結局Livornoに到着すると同時に夫のパスポート番号を控えて解放された。理屈はわかるが私も引けなくなってたし、相手も同じだったのだろうな。
街中のホテルにチェックインして、早速遅めのランチへ。特に調べたわけでもない運河沿いのレストランに入って、魚介のカルボナーラ(夫は海老リゾット)。両方ともとてもおいしくてイタリア恐るべし。その後翌日のフェリーターミナルの下見に。港にはMSCが停泊していた。夫が好きなバンドの新譜を探すので、CD屋を探しながら街をお散歩。2軒目でラッキーにも見つかった。アイスクリームをなめたりしながら、ホテルに帰って一休み。夕飯はガンベロロッソに載っていたトラットリアに行った。忙しいレストランで、夫と別のものを頼んだつもりだったのだが、同じものが来たりして、それが濃い味のタコのラグーだったのでちょっと残念。夜は子供のスター誕生のような番組がやっていて、リンリンランランのような双子の可愛い女の子ペアがでていたりした。生のオリビア ニュートンジョンが出演していて生のPhysicalが聴けた。

25日
朝6時半に宿を出てターミナルへ。徒歩で乗船して甲板に場所を取る。リラックスチェアで寝転びながら出港。コルシカまでは4時間ほどの船旅だ。途中で寒くなってきたので船内に入ってコルシカの予習。そしてコルシカの県庁所在地Bastiaに到着。港の近くの広場に面したカフェで魚料理のランチをとって、タクシーにてホテルへ。中心部からは徒歩20ー30分くらいの場所だったが、なかなか快適なホテルだった。ひとやすみしたあとは、休日だし、なかなかバスが来そうになかったので徒歩で街に出てヨットハーバーあたりまでぶらぶら散歩。商業的な街なので、とくに美しい街並ではないのだが、古くて情緒があると言えばある街だ。夕食はハーバーが見れるレストランで、魚介のスープとサラダ。凝った盛りつけではあったが味はいまいち。

26日
バスにて街中へ出て、レンタカーオフィスへ。プジョーを借りた後は、Bastiaにさよならして、海沿いのSt Florenceの街へ。のんびりと街を歩きながらゆっくりとレストランを探すつもりだったのに、夫がまたトイレに行きたがり、落ち着かない。イタリアン系のレストランに入りランチコース。コルシカの料理はいのしし料理や、茄子やズッキーニにひき肉をつめて濃いトマトソースをかけた料理など、いくつか独特なものもあるのだが、基本t系にはシンプル。昼食のあとは、山を越えて一路、島の西北にあるPortoを目指す。Portoに到着してからまずは翌日のクルーズの予約をしてホテルにチェックイン。夜は暗い山道をドライブしてOtaの街に行き、Rough Guideにのっていたレストランへ。ここがこれでもかという山盛りレストランで、セットコースになっているのだが、前菜のスープは大鍋で来るし、メインのポークも大皿、そして付け合わせのパスタやじゃがいもも大皿、ケーキも20cm四方くらいの大きさ。さすがに半分も食べきれず、どれも残してしまいもったいない。トイレに降りていったら、犬が寄って来て撫でてあげると、お腹を見せてもっと撫でてと転がるので、もっと撫でてあげる。しばらく撫でていたのだが、あまりににももだえているので不思議だなー、人慣れしているなーなどと思ってその場を去る。これがそのあとの夫の災難につながるとは予想もせずに。。。

27日
朝から世界遺産のスカンドラを巡る船のツアーへ。ボートで30分ほど進むと、様々な形をした赤っぽい色の奇岩があちらこちらに見えて来る。残念ながら英語のガイドはなかったのだが、「あの岩はxxの形に似ているのでxxと呼ばれています」なんてガイドだったのかな。途中で、車では行けないという村ジロラータで30分ほど停泊したのだが廃墟のお城までたどり着く道もなく、海岸で食む草もなくぼーっとしている牛を見ていた。2時間半あまりのツアーを終えて帰って来た後は、Pianaの街へ。ガイドブックに書いてあったホテルのレストランに行こうと思ったのだが営業しておらず、海の見えるレストランでランチを食べる。その後Calanches de PianasのFortまで行く散歩コースを1時間あまり歩いた。思いもかけない向こう側の岩にケルンが積まれていたりして、面白かったのだが、カメラを忘れたので残念。Portoに戻ってきてからは海岸でボッーッとする。夕飯はお腹がいっぱいだったのでスーパーでパンとかを買ってホテルに戻る。蚊にさされたのか、夫が痒そう。

28日
Portoを出発してEvisaを通る山道を抜けてCorteに向かう。途中でいのししをトランクに積んでいる車を発見。そう。コルシカではよくいのししが食べられているのだ。数匹の豚の集団もところどころで見る。崖が切り立ち、険しい圧巻の風景のドライブ道だった。Corteはコルシカの山間地帯では一番おおきな街で、おみやげものやのおやじに聞いた高台にあるレストランでランチ。午後はカメ好きの夫のために、キュプラッタにあるカメのサンクチュアリーへ。コルシカによくいる陸カメコーナーが最初続く。一つ一つのケージが結構大きいので、カメを探すのに意外と苦労する。ひとつひとつじっくり見ていると、飼育員のおじさんがたった2時間ばかり前に生まれたばかりのカメを見せて甲羅を撫でさせてくれる。そして世界のいろいろなカメ。圧巻はゾウガメコーナー。こうしていろいろなカメを見ていると、それぞれに顔も甲羅の模様も、立体感も違っておもしろいものだ。そして水にすむカメのコーナーもあったりして、たっぷり1時間半あまりカメを堪能した。夫も大満足。今宵の宿は山の中のオーベルジュを予約していたのだが、カメセンターを出たあたりから車が変な音を立てて走っていると思ったらパンク。さらに山奥に行こうとする夫を止めて、来たばかりのメインルートにゆるゆると戻り、ガソリンスタンドへ。さっき道を通った時にガソリンスタンドがあったことを何となく記憶していたのだ。ラッキーなことに車の整備工場がその横にあり、英語が使えるガソリンスタンドのお兄さんの助けを借りて、スペアタイヤと交換してもらって一安心。それにしても夫は車が好きとかいっている割にはメカに弱いというか、なにかトラブルがおこったときにしてはいけない方向に事を進める傾向がある。この前もドロにはまったら、ますますはまる方向に車をすすめていたしー。車は運転出来ないけれど、常識人の奥さんがいて幸せな人だ。
スペアタイヤのまま、また山道のドライブには不安があったので、予定を変更して大都市のアジャクシオに行く事にした。ここはナポレオンが生まれた街。でもナポレオン自身は、その父親が、コルシカで独立指向が強かった当時のリーダーと対立傾向にあったことや、フランスに肩入れしていた父親の影響でフランスの士官学校に入ったこともあったりして、フランス、そしてより広大な領域で支配を広げてからも、あまりコルシカのことは顧みなかったそうだ。なので自分が死んだ後の納骨場所としても、自身が生まれたこの街を4番目にしか指名しなかったとのこと。
やっとホテルを探してチェックインしたあとは、旧市街まで歩いて夕食。ズッキーニにひき肉を詰めた温かい前菜がおいしかった。

29日
朝からホテルの目の前のパン屋からよい香りが漂っていたので、そこでパンをかって朝食。そのあと街まで行き、ナポレオンの生家を眺めたり、市場を見て、粒の揃った美しいいちごを買ったり。アジャクシオを出た後は、6000BCの遺跡、フィロトサ遺跡へ。ちょっと夫に似た感じのぼーっとした人の立像や住居跡が残っていた。途中の街でピザの昼食を軽くとったあとは、ボニファシオへ。その近くの古い教会、Ermitage de ta triniteからは白い崖の上のボニファシオが見れる。ふものとのホテルにチェックイン。新しくて快適なホテル。少し昼寝したあとで、飲食店の立ち並ぶヨットハーバーを囲んだような街を抜けると急な階段が現れたのでそこを登って、崖の上の門に到達。そしてそこを抜けると、なぜか中華料理屋が。こんな崖の上で営業しているなんて、さすがたくましい商魂だな、なんて思ってさらにその料理店の裏に入ると、そこには狭い小路の巡る別の街が現れた。
通常ある場所を訪れるときは、ある程度ガイドブックを読んだり、ネットを見たりして、その街の見所とか構造とかを予習しておくのだが、この街に限っては、「サルディーニアへのフェリーが出ている街」くらいとしか認識してなくて、予習を怠っていたのだ。なので、平地にあるヨットハーバーのあたりがメインの街だと思い込んで、崖を登って門を越えたところに、こんな情緒ある迷路のような旧市街があるとは予想もしていなかったのだ。予習不足が意外な驚きをもたらしてくれて楽しくなり、夕食のレストランを探しがてら迷路のような街をさまよい歩く。街をさらにさきにいくと今は部隊が移動して廃墟となってしまったミリタリースクールがあったり、荒れ地があったり、その先には墓地が見えたのだが、かなり暗くなってから墓地に入る勇気はなく、そこで引き返して目星をつけていた感じのよいレストランで夕食。ここではじめてコルシカコーラを飲む。コルシカではコーラーもミネラルウオーターもビールも結構現地調達しているようで、ご当地銘柄が多い。ホテルに戻ってから改めてガイドブックを読み返してみると、ボニファシオはコルシカ一番の人気の観光地だった。納得!

30日
チェックアウトしてレンタカーを返したあとは、昨日歩き残した分のお散歩に出かける。朝はパン屋さんでボニファシオ名物と言われるパンを買ったがちょっとモクモクしていて食べづらい。昨日行けなかった墓地(けっこう立派なお墓が多くて、しかもきれいな花が生けられているお墓が多かった。幸せなご先祖さんのおおいお墓だった)、そしてさらにその先の岬まで歩く。コルシカ最南端の岬といっても別に何がある訳でもなく、無造作な感じの岬でそこがかえって飾り気がなくて気に行ってしまう。そしてアラゴンの階段と言われる急な階段へ。ボニファシオは昔スペインのアラゴンからの執拗な兵糧攻め攻撃を受けたが、フランスからの助けがくるまで、住人は一致団結して戦ったそうだ。このアラゴンの階段は、そんなアラゴンが一夜にして「こんな急な斜面に!」と言われるような意外な場所に築いた階段と言われている。その名のとおり足のすくむような急な階段で、一歩一歩手すりをつかまって降りるのが大変。海のすれすれまで降りたあとは、崖にそって少し散歩道が出来ている。イギリスからクルーズでやってきたという老夫婦と励まし合いながら急な階段を登って戻ったあとは、崖のすぐそばのレストランでサラダのランチ。数年前に崖崩れがあって、家とその住人が犠牲になったという事故もあったそうで、ほんとぎりぎりに建てられている様子をみると、観光に来るには情緒あふれるところだけど、住みたくないなあと思う。
ホテルで荷物をピックアップしてフェリー乗り場に向かい、コルシカにさよなら。こんどは1時間あまりで、サルディーニアのサントテレサに到着。レンタカーオフィスがクローズしていて、ちょっとあせったけれども、単にオフィスを一時退出しただけのようで、戻ってきてくれたのでホっ。Arzachencaの街の近くのAgriturismoにチェックイン。Middle of nowhereだし、犬や猫や馬やヤギがいるし、石造りで情緒ある建物だけど、ベッドルームに窓がないのがたまに傷。宿のお姉さんのおすすめのトラットリアへ。コルシカの濃い味付けの料理に少々飽き飽きしていたので、からすみと海老のサルディーニアパスタや、豚のロースのマッシュルームソースがとてもおいしい。やっぱりイタリア料理が好きだなあ。



# by royalfestival | 2011-09-24 04:35 | Travelling light | Trackback | Comments(0)

Wien with parents

9月4日に、両親が来英。70歳半ばとほぼ70歳なのに、今年もたくさんのおみやげを抱えて長時間フライとを耐えてやってきてくれた。週末から夫は留守番で、3人でウィーン、ブラスティラバへ。
行きは早朝フライトの、ロンドンで乗り換え、しかもEasyjetだったので、荷物をいちいち受け取らなきゃいけないので結構面倒くさかった。午後にウィーンの空港に到着し、バスで市内へ。リング内のホテルで空港バスからも、トラムからも地下鉄からも、そしてシュテファン寺院からも近くてとても便利。一段落してから、シュテファン寺院へ。オーバーラーというカフェでケーキを食べる。甘すぎずとてもおいしい。それからぶらぶらと王宮のほうから、オペラ座へと散歩し、夜は大皿からはみ出すほどのシュニッツエルが有名なフルグミューラーへ。カツレツを思う存分堪能。ここはサイズも大きくて食べ甲斐があるが、付け合わせに頼むポテトサラダがとても大好き。満腹になってホテルに帰り就寝。
翌日は朝早くからシェーンブルン宮殿へ。ここに来るのは3度目だが、見回って疲れるほど大きくないし、レコーダーのガイドも簡略なので、適度な見甲斐がある。丘の上まで登る父母を待って、お庭のベンチでしばし休憩。ウィーンに戻ってきて、ランチに日本食レストランへ。前回ピアノの先生たちとウィーンに行った時も、このレストランにはお世話になった。そこでボリュームたっぷりの焼き肉定食を食べたあとは、美術館へ。ここはやはりブリューゲルが目玉。ブリューゲルやボッスによる群衆画(こういう言葉があるかはわからないが)はつくづく眺めていると飽きないのだが、特に子供達が遊んでいる風景の絵が見入ってしまった。美術館を出ると、ちょうど道で収穫祭のようなマーチが行われているところで、トラックから民族衣装をきた女の子たちがブドウをふるまってくれたので、道ばたに腰掛けてひとやすみ。その後蜂蜜とかチーズとかが売っているブースが立ち並ぶイベント会場を冷やかしたりして、ホテルへ戻る。一旦着替えて夜はオペラ座にて、セビリアの理髪師を観に。天井桟敷で、猛烈に蒸し暑く、しかもマナーのよいはずのウィーンの客なのに、周りのシーッという注意にめげず、けっこう大きな声で横の人と話す二人組がいて、どうも集中出来ず。1幕目が終わったところで、「どうする?」と両親にきくと、「大丈夫よ まだ退屈してないわよ」と言うのだが、明らかにきつそう。というか私もきつかったので、1幕目で切り上げて食事をとりにいくことに。ホテルの近くで皆でチロル地方のジャガイモとベーコンの炒め物を食べる。
次の日、朝から市民墓地へ。トラムに乗ってちょっと外れた場所にあるのだが、ウィーンというとここが結構好きだったりする。間違えた出口から入ってしまったので、かなり墓地内を歩いて、ベトベン、ブラームス、シューベルト、ヨハンシュトラウスなどのお墓を参る。2年前にも行ったので、おじいちゃんのお墓よりも頻繁に詣でている気がして、ごめんね、おじいちゃん。またウィーンの町に戻ってからは、高級デパートでおみやげもの探し。そしてお昼の船でブラスティラバへ。ドナウ河をクルーズするのは初めてだが、ウィーン内の運河を抜けて、本流に来ると、川幅が広くてびっくり。両側には魚釣りを楽しむための小屋と山小屋が立ち並ぶのどかな風景が続く。1時間強のクルーズの後、ブラスティラバに到着。ホテルにチェックインしたあとは町へ。とにかく小さな街で、おみやげ屋というか郷土品のお店がいまいちなので、すぐに旧市街のほとんどを歩ききってしまう。途中でギターと鍵盤を組み合わせたスペインがオリジンの古楽器を奏でているおじさんがいて少し話しをしたりする。夜ご飯は教会を改造したものすごく大きなビアホールで。翌日は朝の飛行機でエジンバラへ帰宅。
いつもは、私のほうが父母の疲れ具合などを気遣うべき立場なのに、今回は特に心配性の母が私の体調を気にしてばかりいて、荷物をもってくれたりもしたので、なんだか申し訳なかった。私のことばかりが気になって十分に楽しめなかったのでは、と思ってもしまう。でも、これからまた新たな人生のステージを迎えると、こんなふうに3人でのんびりと旅をすることもかなわなくなってしまうので、その意味でたった4日だったけど親子水入らずで過ごせてよかった。



# by royalfestival | 2011-09-09 04:43 | Travelling light | Trackback | Comments(0)
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ロンドン・エジンバラ生活備忘録
by royalfestival


「あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもない落とし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった」
かなしみ 谷川俊太郎 二十億光年の孤独より

忙しい日々の中で落し物をしないよう、書き留めなくちゃね ロンドン生活備忘録。

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